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『人間の叡智』佐藤優

■人間の叡智
(著者:佐藤 優 出版:文藝春秋 発行:2012年7月20日 価格:858円)



元・外務省主任分析官として有名な佐藤優さんが、2012年に書き下ろしたものです。

過去に書かれた世界や日本の未来予測が、実際に当たっていたかどうか。見込み違いがあったならばどこに落とし穴があったのか。人気作家が数年前に記した国家論を読み返すのは何かと面白く感じます。

著者は「新・帝国主義」の台頭を予測しています。

従来の「帝国主義」は、自国の利益を最優先に、戦争という手段も辞さず、植民地を拡大します。著者の言う「新・帝国主義」は、大国間の戦争は回避し、話し合いで利害調整を行いますが、自国の利益を一方的に主張する点は同じです。相手国が怯み、国際社会も沈黙するならば、躊躇なく自国の利益を拡大していきます。

明言はしていませんが、著者は中国を念頭に置いていると思われます。

実際、現在の中国は海洋立国を標榜し、南シナ海を中心とした周辺の海へお構いなしに進出しています。『世界の経済ニュースがザックリわかる本』(ロム・インターナショナル著)では、中国が北極海の領有権まで主張していると言います。北極海と隣接していないにも関わらず、強引に割り込んでくる姿勢はまさに「新・帝国主義」と言えるでしょう。14億人以上の国民を養うための食料や資源を確保するためには、なりふり構っていられないのかもしれません。

プーチン大統領を筆頭としたロシアも「新・帝国主義」の代表です。著者が詳しい北方領土も本書で登場しますが、自国の利益を最優先にするロシアの根本思想がある限り、解決にはまだまだ時間がかかりそうです。ちなみに、ロシアは地球温暖化を歓迎していると著者は推測しています(P116)。北極海の氷が解けて、天然ガスなどが採掘しやすくなれば自国に有利に働くためです。

その他、中東問題や核問題を含め、2012年時点の世界を以下のように総括しています。

各国が自国の利益をむきだしに帝国主義の論理で行動し、そこにゲームのルールがわかっていない中華帝国や、ハルマゲドンを信じているペルシャ帝国が加わっているのが、今、私たちが生きている世界です(P124)。

この予測は概ね当たっているのではないでしょうか。2020年現在、トランプ大統領はアメリカ第一主義を公言していますし、中国の利権拡大、ロシアによるクリミアの併合(2014年)など、世界は「新・帝国主義」に奔走していると言えます。

このような世界情勢を踏まえ、日本はどう生き延びていくべきか。

個人レベルだと『資本論』を初めとした古典に親しむことや、読書人階級を再生することと著者は説明します。この部分がどうも分かりにくい。日本人の教養レベルを高めることで、経済第一主義を食い止めようという主張は分からなくもないですが、国レベルの生き残り戦略としては論理の飛躍が大きいと感じます。

読書人階級のトップ層にいる著者ならではの視点で、世界情勢を綴った本書は読みごたえがあります。言いたいことを散発的に述べており、全体的な統一感が弱く読者の記憶に残りにくい面はあると思いますが、国家の在り方を考える上では有益な本だと思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★☆☆

『四つの署名』コナン・ドイル

■四つの署名
(著者:コナン・ドイル 訳:延原謙 出版:新潮文庫 発行:1953年12月28日 価格:362円)



緋色の研究』に続く、シャーロック・ホームズシリーズの長編第2作です。

モースタン嬢という若い女性がベーカー街221Bを訪ねてきます。インドで連隊の将校を務めていた父が帰国した日に姿を消してしまったこと。毎年同じ日に、モースタン嬢宛てに真珠の玉が1つ送られてくること。さらに、知らない男から正義の補償を授けるから来てほしいという手紙を受け取ったことを打ち明けます。

ホームズとワトスンも同行するのですが、その馬車の中でモースタン嬢は父の机に入っていたという紙切れをホームズへ見せます。そこには四名の名前が書かれていますが、事件との関係性はこの時点では分かりません。

指定の場所へ到着した3人は、サディアス・ショルトーと名乗る男と対面します。彼は、彼の兄とともに聞いたという父親が死の間際に残した話について語り始めます。彼の父親とモースタン嬢の父親は、インドで莫大な財産を手に入れたと言います。しかしモースタン嬢の父親が不慮の事故で亡くなったため、道義的な観点からモースタン嬢にも財産を分けてあげてほしいという遺言だったようです。しかし具体的な財産の有りかを喋ろうとした彼の父親は、窓の向こうで盗み聞ぎしている謎の男に気づき、ショックのあまり亡くなったといいます。その盗み聞ぎしている謎の男とは、インドで面識があったようですが…。

以上の話をもとに、一行はサディアス・ショルトーの兄の家に向かいますが、そこで目にしたのものは…。
そしてその現場にも残されていた「四つの署名」の紙が意味するものとは…。

ホームズは現場の状況をいち早く分析し、得られた事実をもとに次の行動を決め、最短経路で事件解決の道を切り開きます。また、捜査には年老いた警察犬を使ったり、ベーカー街特務隊という浮浪少年たちを使ったりと、ホームズならではの行動方法が登場します。手持ちの情報と新しい情報を組み合わせ、最後に「四つの署名」との関係性を当てはめて事件を解決に向かわせるホームズ。とても楽しく読める内容です。

本作ですが、事件そのものよりも楽しめる話題が2つあります。

1つは、物語イントロダクション部分のホームズとワトスンのやりとりです。ワトスンは兄の腕時計を取り出し、これを見て兄がどういう人物だったか当ててみろとホームズに迫ります。ホームズは拡大鏡などを用いて手早く時計を調べ、ワトスンの兄の人物像を語るのですが、これが見事に当たっていたためワトスンは驚いてしまうのです。

ホームズの推論の過程を聞いてみると、非常に筋が通っており、何だそんなことだったのか、となるのですが、そのような推理を瞬間的に実施してしまうホームズはやはり探偵としての能力が際立っているのでしょう。

もう1つは、モースタン嬢に恋心をいだいたワトスンの言動です。男女間の富裕差を自覚している男性が、プロポーズ時にどのような言葉で女性に迫るのか。現代の男女間のプロポーズに使えるかどうかは分かりませんが、独身の方には何らかの参考になるはずです。

ホームズ長編作品の中でも『緋色の研究』と並んでわくわくしながら読める推理小説です。ぜひお勧めしたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『羊をめぐる冒険(下)』村上春樹

■羊をめぐる冒険(下)
(著者:村上春樹 出版:講談社文庫 発行:2004年11月16日 価格:550円)



風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険(上)』に続く完結編です。

「耳の美しい」ガール・フレンドと北海道にやってきた「僕」。二人が宿泊した「いるかホテル」の2階には、羊博士と呼ばれる老人がいました。羊博士は若い頃、緬羊増産計画の使命を帯びて、中国に渡ったといいます。中国で、1935年の夏に「背中に星型の模様がある羊」と出会い、その羊が乗り移った状態で帰国したと言います。帰国と同時に羊が体内から出ていったことから、羊博士はずっとその行方を追っているとのことでした。

羊博士から、写真に映っている場所を聞きだした「僕」とガール・フレンドは、その場所である「十二滝町」へ向かいます。ちなみに、<鼠>もどうやら羊博士に会っていたようで、十二滝町に先に着いているようです。

険しい山道を越え、十二滝町の小屋にたどり着いた二人。<鼠>の姿はありません。しかし、謎の男「羊男」が訪ねてきます(本書には著者が描いた「羊男」の挿絵も出てきます)。この「羊男」は<鼠>の行方や星型の羊について何らかの事情を知っている様子です。

外で会ったときの「羊男」は、戦争に行きたくなかったからこの前に隠れ住んでいた、と言います。

だんだん状況が読めて来た「僕」は、ついに<鼠>と再会するのですが、そこで<鼠>から語られた驚きの事実とは…。

風の歌を聴け』で、<鼠>は権力への批判、死への願望を口にしています。
1973年のピンボール』では、「入口と出口」の話があり、出口の無いものは死につながるかのような記述があります。

<鼠>は権力や支配、戦争などを批判する共産主義・左翼的な象徴ではないでしょうか。
対して「黒服の男」は、権力や支配を好む、右翼的な象徴ではないでしょうか。

権力の暴走を食い止めるために、自身の周りの大切なものを断ち切り、出口をふさぐ。そして自らの死を恐れず、支配者と立ち向かう。そのような構図を本三部作で私は読み取ったつもりですが、小説の読み方は人それぞれです。他の方の感想も読んだ上で、著者の意図するところを今後も探っていきたいと思います。

三部作全体を通してどうも分かりにくいのは、たびたび登場する女性たちの位置づけです。「僕」や<鼠>の彼女たちは、去っていく人もあれば命を失う人もいます。特に、本作に登場する「僕」のガール・フレンドは、「羊」に関する高い感度を持ち合わせていたにも関わらず、最終場面の直前で山を下ってしまいます。

著者は様々な登場人物や物体(たとえばピンボール台)に、何らかの「象徴」を与えて話を進めていると推測するのですが、もう少し著者の他作品も読み進めないとその「勘所」が掴めない気がしました。いわゆる「村上作品」を私が読んだのは本シリーズが初めてなのですが、その時代を反映した設定にもなっているようですし、話題性も高いので以降の作品も読んでみたいと思いました。

本シリーズに関して言うと、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』だけで終わらせるのはもったいない気がします。特に本作は前述の2作品と違って、ミステリー的な要素が大きく加わっています。本作を未読の方は、謎解きのような楽しさも味わえるので、ぜひ読み進めることをお勧めします。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『羊をめぐる冒険(上)』村上春樹

■羊をめぐる冒険(上)
(著者:村上春樹 出版:講談社文庫 発行:2004年11月15日 価格:616円)



風の歌を聴け』『1973年のピンボール』の続編です。本作の舞台は1978年です。

「僕」がかつて付き合っていた彼女が亡くなる場面から始まります。彼女は、『風の歌を聴け』でも登場した翻訳会社の事務として働いていた女の子のようです。さらに読み進めると「僕」が既婚者であり、しかも妻と離婚の直前であることが分かります。

前作『1973年のピンボール』で、同居していた双子の女の子と別れた「僕」ですが、30歳を目前にして更に色々なものを失っている状況が浮かびます。

さて、「僕」の共同経営者である友人に突如呼びだされた「僕」は、奇妙な話を聞かされます。黒服の謎の男が事務所を訪れ、「僕」がとある北海道の羊の群れの写真を載せて出版したPR誌を、即刻中止してほしいと言われたようです。詳しい話を聞くために「僕」は黒服の男を訪ねます。

黒服の男は、写真に映っている羊の中の一匹について、背中に星型の模様があることを指摘します。どうやらこの特殊な羊が問題となっているようです。黒服の男の話によると、男のボス(=先生と呼ばれている)が瀕死の状態にあるが、それまで右翼のトップとして権力を持ち、地下の王国を築いた人間とのこと。この先生は病床に就く直前まで、羊に関する情報を集めていたと言います。黒服の男は、星型の模様がある羊が、かつて先生の中に入り込み、先生の意思や肉体を支配して権力を乱用させたのではないか、と言います。その羊が先生を見限って抜け出すと同時に、先生の体調が悪くなった。よって、抜け出した羊を見つけ出すために「僕」へ協力をお願いしたいというのです。

「僕」が羊を探す目的を聞くと言葉を濁してしまう男に対し「僕」は写真の提供者は言えない、と返します。それに対し黒服の男は、1ヶ月以内に羊を見つけ出すよう圧力をかけてきます。ここで「僕」はその圧力に屈したわけではないが、同意を示し、羊を探す旅に出る決意をするのです。

一方、前作で街を去った<鼠>からの手紙の内容についても挿話があります。<鼠>は、『風の歌を聴け』などにも登場した「ジェイズ・バー」のマスターであるジェイや、かつての<鼠>の彼女によろしく伝えておいてほしいと書いています。そして、羊の映った写真を送るので、それを世間に公開してほしいとの内容でした。つまり「僕」がPR誌に載せた写真は<鼠>からもらった写真だと分かります。

ここまで読むと、以下の推測ができます。

・<鼠>は「背中に星型の模様がある羊」について、何かを知っている。
・それを世間に公開するよう「僕」に求めているので、何かをおびき寄せようとしている。
・ジェイやかつての彼女への挨拶を「僕」に頼んでいることで、覚悟のようなものが見える。
・「僕」は以上のような<鼠>の依頼内容から、羊に関して黒服の男も何かをたくらんでいると睨み、写真の提供者である<鼠>の名前を明かさなかった。

「僕」は旅に出るにあたり、最近知り合った「耳が美しい」というガール・フレンドと北海道に向かいます。このガール・フレンドは以下のとおり、謎の多いキャラクターです。

・「僕」が共同経営者に電話で呼び出された際、「羊の話よ」と言って「僕」を驚かせた。
・「僕」が部屋に帰ってくるなり、北海道にいる羊の数を図書館で調べておいたと言って「僕」を驚かせた。

このガール・フレンドの立ち位置についても、下巻を読み進める上でポイントになりそうです。「下巻」でどのような結末が待っているのか楽しみを増幅させる内容がこの「上巻」には詰まっていると思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『1973年のピンボール』村上春樹

■1973年のピンボール
(著者:村上春樹 出版:講談社文庫 発行:2004年11月16日 価格:550円)



著者のデビュー作『風の歌を聴け』の続編です。

これは「僕」の話であるとともに鼠と呼ばれる男の話でもある。その秋、<僕>たちは七百キロも離れた街に住んでいた。
一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。
(P26)

物語の冒頭、「僕」は目を覚ますと、両脇に双子の女の子がいたと言います。この2人と共同生活(同棲?)が始まります。彼女たちとの会話の中に「入口と出口」に関する内容がしばしば出てきます。その中に奇妙な「たとえ」がいくつかあります。

入口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。…中略…
もちろんそうでないものもある。例えば鼠取り。
(P14)

また、「僕」が実際に設置した鼠取りに小さな鼠がかかり、四日めには後足を針金にはさんだまま死んだというエピソードも紹介されています。

物語には必ず入口と出口がなくてはならない。そういうことだ。(P15)

これは友人の<鼠>とどう関係するのでしょうか?他にも、ジェイズ・バーのマスターであるジェイと<鼠>の会話において、ジェイの飼い猫の話題が出てきます。この猫は誰かに手を潰された状態でジェイが拾ったといいますが、鼠の天敵である猫を何故登場させたのでしょうか。前作において、<鼠>は「死への願望」を度々口にしていましたが、本作ではより鮮明なレトリックが用いられていると感じます。

また、壊れた配電盤についての話もありますが、壊れた理由について双子の女の子は「いろんなものを吸い込みすぎて、パンクしたのよ」(P90)と答えています。これについて連想できるものは、前作を顧みると「資本主義」や「金持ち」でしょうか。権力者は肥え太って最終的には破滅する…という暗示なのかもしれません。

さて、題名である「ピンボール」も頻繁に登場します。

ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。もしあなたが自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あたなは反則ランプによって容赦なき報告を受けるだろう。(P30)

「僕」が探し求めていた、レトロかつレアなピンボール台「スペースシップ」が見つかり、保有者と交渉して倉庫に案内されることになります。世界に数台しか残っていない「スペースシップ」は倉庫の奥でひっそりと「僕」を待っており、ゲームも問題なく楽しめる状態でした。

ピンボールは弾を弾き出し高得点を狙うゲームですが、「入口と出口」があるものに分類されるでしょう。しかも現存しているので、鼠取りとは対極にある「生の象徴」と言えるのかもしれません。なお、ピンボールの目的とされる「自己変革」や「縮小」「包括」については、残念ながら私の読解力では著者が意図するところを読み取ることが出来ませんでした。

やがて双子の女の子は去っていき、<鼠>は不要物売買で知り合った女性と関係を持った後に別れて、街を去っていきます。

前作に続き、本作も何らかの社会的問題や権力への批判、人間の生死をテーマに扱っているように思います。
続編の『羊をめぐる冒険』で種明かしがあるか分かりませんが、楽しみにしたいと思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『風の歌を聴け』村上春樹

■風の歌を聴け
(著者:村上春樹 出版:講談社文庫 発行:2004年9月15日 価格:495円)



村上春樹氏のデビュー作です。後に続く『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険(上)』『羊をめぐる冒険(下)』と合わせて初期の三部作と呼ばれています。

160頁と短く読みやすい小説ですが、ストーリーの抽象度が高く要点を掴みにくい作品と思います。

1970年の夏。東京の大学で生物学を学ぶ主人公の<僕>は、夏休みを利用して海辺の街へ帰省しています。友人の<鼠>となじみの店「ジェイズ・バー」でビールを飲みかわし、短い夏を共有しています。途中、店で酔いつぶれていた女の子を介抱し、お互いの心の隙間を埋めるように距離を近づけます。彼女は8歳の頃、左手の小指を無くしたそうですが、これが何を暗示しているかは分かりません。

<鼠>や女の子と時間を共有する中で、<僕>はかつて付き合った3人の女の子を頻繁に思い出します。特に、3番目に交際していた女の子はある日突然、自ら命を絶ったと言います。この事実が<僕>を少なからず悟りきったような態度に導いているようです。

夏休みが終わる頃、彼女と離れた<僕>は、<鼠>ともしばしの別れを告げます。この<鼠>という人物がそれ以後の物語のキーパーソンのようですが、権力への反感、死への願望のような発言が見え隠れします。

・「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」(P14:<鼠>の強調発言)
・「死んだ人間に対しては大抵のことが許せそうな気がするんだな。」(P23:<鼠>の発言)

さらに、<僕>の回想には自殺した(もしくは暗殺された)歴史上および架空の人物が多数登場します。

・ハートフィールド(エンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び降り自殺)
・火星の井戸の若者(拳銃で自殺)
・ジョン・F・ケネディ(1963年ダラスで暗殺される)など

以上より本シリーズは、何らかの社会的問題や権力への批判、人間の生死をテーマに据えているように思えます。
女の子が何を象徴しているか分かりにくかったため、次作『1973年のピンボール』にヒントが無いか探っていきたいところです。

テーマはさておき、本作には<僕>や<鼠>のユーモアに満ちた会話が多く、それだけでも十分に楽しめます。村上ファンのみならず読書好きな方は押さえておきたい作品だと思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『ランド 世界を支配した研究所』A・アベラ

■ランド 世界を支配した研究所
(著者:A・アベラ 出版:文春文庫 発行:2011年6月10日 価格:886円)



RAND(ランド)研究所。Research and Development(研究と開発)から取られた名称で、1946年に誕生したアメリカのシンクタンクです。

カリフォルニア州の都市サンタモニカに拠点を置き、かつては「軍事シンクタンク」としてアメリカの軍事政策を裏で動かしていたと言われています。現在は軍事だけでなく経済・医療や教育など様々な分野で研究活動を行い、単体の研究機関としては29名ものノーベル賞受賞者を生み出したそうです。ちなみに『頭に来てもアホとは戦うな!』『野蛮人の読書術』などの著書で有名となった田村耕太郎氏は、ランド研究所に在籍経験がある唯一の日本人研究者だそうです。

前述のとおり、ランドの設立目的は、どのように戦争を展開して勝つのか、政府やアメリカ空軍に助言するものでした。しかし、ゲーム理論等を駆使した極度な数値至上主義であり、道徳的な問題には関心を寄せないため、政府が単純にランドの助言に従うと総合的判断を誤る恐れがあったといいます。

例として、ケネス・アローが提唱した「合理的選択理論」があります。人間の行動パターンの数学的な確率を調べ、想定された専好の順番に従って一覧表を作れば、人間がどのように選択するか予測できるというものでした(P85)。人間行動を確率論に当てはめ、数値至上主義の一端を担い、ランドの研究成果を正当化したといいます。

また、アメリカとソ連の冷戦時代を生み出したのは、アメリカ政府がランドの誘導に従った影響が大きいといいます。この時代を代表する研究者はアルバート・ウォルステッター。核戦略家であり「フェイルセーフ」と呼ばれる多重安全装置を考案した人物です。この考えにより、米ソは正面衝突を回避できた反面、核兵器を強大化・量産化し続け、全世界に緊張をもたらしたとも言えます。また、現在の核兵器問題の潮流を生み出したとも言えるでしょう。

さらに、ベトナム戦争(1955-1975)を長期化させた裏にもランドの提言があったといいます。北ベトナムやベトコン分遣隊の愛国心・使命感をランドが考慮しなかった故の長期化とも言われています(P271)。

1960年代に入ると、ランド研究所は社会研究の分野で新天地を切り開いたといいます(P306)。非軍事分野へシフトしていったわけですが、とりわけ「医療費自己負担」に関する研究は、現在のアメリカの医療保険制度の基礎となるものです。海外でも、例えばオランダの水害対策に関する依頼を受け、世界最大の人口ダムを建設するなど、民政への貢献度が高くなっていきます。

その一方、やはり軍事シンクタンクとしての原点は持ち続けており、中東問題へのアメリカの積極介入やイラク戦争などの裏にもランドの暗躍があったようで、その活動は現在でも脈々と受け継がれているのではないでしょうか。

ランド研究所の方針が分かりやすく表現された箇所を紹介します。

ランドの報告書は科学的客観性に照らし合わせていつも「何が最適か」と問う。決して「人々は何を望んでいるのか」とは問わない(P465)。

日本では国家的なシンクタンクは存在せず、強いて言うなら国家公務員(官僚)がその役割を担っていますが、一時は「官僚主導」と言われるくらい、官僚に丸投げの状態が続いていました。これについて『池上彰の政治の学校(池上彰著)』では、以下のような指摘があります。

・政治家の仕事は「大方針を決める」ことです。そして後は官僚たちに任せる(P147)。
・客観的に見て、日本の官僚は非常に優秀です。…中略… 国民が官僚を叩くのではなくて、うまく使っていこうと考えるようになることが大事です(P149)。

アメリカでも同じことが言えるでしょう。ランドをはじめ、シンクタンクには頭がカミソリのように切れて教養も十分な人材が揃っているはずです。また、長年研究で積み重ねたノウハウや知見は他で得難いものでしょう。政治家が意思を持ってそれらを活用し、将来を展望した平和的かつ効果的な取り組みを立案する。情報が溢れかえる現在、いかに情報を組わせて上手く使っていくかがどの国・どの分野でも求められている。そんな読後感を持たせてくれた一冊です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『二十四の瞳』壺井栄

■二十四の瞳
(著者:壺井栄 出版:新潮文庫 発行:2005年4月1日 価格:396円)



出版当時ベストセラーとなった、反戦文学の代表作です。

「十年をひとむかしというならば、この物語の発端はいまからふたむかし半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年四月四日、農山漁村の名がぜんぶあてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、わかい女の先生が赴任してきた。」

新任の女の先生が、岬の分教場へ赴任してきます。彼女の名は大石久子。1年生12名は貧しい家庭の子が多いものの、明るく前向きで、大石先生にすぐになつきます。しかし、本島から自転車で颯爽とやってくるハイカラな大石先生に対し、村の大人たちは違和感を覚えます。

二学期、子供たちのいたずらがきっかけで浜辺の穴に足を取られ、アキレス腱を切る怪我を負った大石先生。長い休職となった先生に会いたい子供たちは、本島まで走って会いに行く計画を立てます。悪戦苦闘しながもついに出会えた子供たちは、先生の家で美味しいきつねうどんをご馳走になり、島の象徴である一本松の下で記念写真を撮ります。そんな大石先生と子供たちとの関係を村の大人たちも認め始めます。

怪我の影響もあり分教場での復帰は叶わず、本島の教師となった大石先生。5年後に生徒たちと再会します。大石先生も結婚し、生徒たちもちょっぴり逞しくなっています。しかし、不景気に伴う家庭事情の影響が見え隠れします。川本松江はおべんとう箱を買ってもらえない悩みを先生に打ち明けます。男の子の中には、軍人になることへの憧れを口に出すものも現れます。そんな生徒たちに、母性あふれる大石先生は、口にはできない不安を覚え始めます。

やがて日本は太平洋戦争に突入します。物語は、敗戦後に大石先生が再び岬の分教場へ赴任する場面から始まります。大石先生自身、夫が戦死し、3人の子供たちの末娘も病気で失っていたため、戦争によるダメージを強く受けています。

新たな生徒の中には、かつての12人の生徒の子供もいました。しかし、彼らの親や親族のことを考えると、涙が止まらなくなる大石先生。かつての教え子たちは、3人の男の子が戦死。1人の男の子は戦傷により全盲となって帰国。女の子たちも厳しい運命に巻き込まれ寂しく死んでいった子や行方知らずの子がいることを知ったからです。

残っている教え子たちのはからいで、同窓会が開かれることになりました。あの一本松の下で撮影した集合写真を前に、全盲となった岡田磯吉は、かつての同級生たちの名前を読み上げながら指で指し示すのですが…。

本書には、先生と教え子の関係、そして戦争の悲惨さという2大テーマがあると思います。
前者については、究極的には校舎や教科書が無くても、熱意を持った先生と無垢な生徒たちが向き合えば「教育」は成り立つと私は思っています。本作品の大石先生と12人の生徒たちは、まさにそのような関係ではないでしょうか。
後者については、世界大戦を生み出した国際関係の在り方、そして戦線に日本国民を巻き込んだ一部の政治エリート、軍事エリートたちへの反発が間接的に描かれており、生徒思いの先生と、純真な12人の子供たちの24つの瞳から、戦争の悲惨さを訴えかけています。

現在、世界人口は70億人を超え、2050年頃には90億人に達するとの予測があります。有限な食料やエネルギーを奪い合う構図は免れないでしょう。また、かつて情報が少なかった時代は希少な書物から自主的に学び、先生の教えに従って、自分で考える教育が主流でしたが、現在の教育は知識重視・効率重視の側面が強くなっていないでしょうか。物事の善悪を自分で考える力が弱くなってはいないでしょうか。

最後に全盲となった生徒が写真を指差すシーンに、読者は身震いせずにはいられないでしょう。
過去の教訓を生かし、未来の平和と教育に役立てる上で、本書は貴重な文学作品だと思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡』三田誠広

■ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡
(著者:三田誠広 出版:祥伝社新書 発行:2007年2月27日 価格:825円)



現代人は科学と宗教を対立するものとしてとらえている。しかしダ・ヴィンチからガリレイ、デカルト、パスカルを経てニュートンに到る時代にあっては、科学は宗教と不可分なものであった。科学は宗教の一部であるだけでなく、宗教をより深めるものが科学であったといってもいい。(P3:まえがきより)

宗教と科学の歴史を、関連付けて説明した一冊です。

数学や物理の探求は、神の原理に近づき、神の領域をグノーシス(認識)することが目的だったと言います。例えば、フィボナッチ数列が作り出す黄金比は、原理が大変美しいものですが、これは数学そのものを追求したと言うよりは、神の原理を求めて辿り着いた結果なのだと言います。ちなみにフィボナッチ数列とは1,1,2,3,5,8,…という特別な規則に従って増える数列です。

また、ダ・ヴィンチの作品に描かれる『岩窟の聖母』におけるイエスとバプテスマのヨハネの関係性については、以下のように結論付けています。科学者の側面も強かったダ・ヴィンチの、神の原理追求の意図を説明しています。

ダ・ヴィンチは最初からヨハネをグノーシスの象徴としてとらえ、イエスよりも威厳のある人物として描いた。ダ・ヴィンチはグノーシス的な宇宙観の中で生きている。ダ・ヴィンチにはカトリックを批判するといった意図はない。(P94)

本書で面白い考察と思える点があったので紹介します。地球などの惑星は慣性の法則で動いており、等速運動を続けているわけですが、最初に何らかの力が働かなければ動き出せなかったはずです。その最初の力とは何か。著者はこれを「最初の一突き」と呼んでいます。これは科学的に説明できない点であり「神の最初の一突き」、つまり神が押したと考えざるを得ません。ここに宗教と物理の共存があり、対立はしなかったのだと主張しています。

しかし時が流れ、ニュートンの万有引力の法則から、より具体的に天体力学を完成させたラプラス(1749~1827)は皇帝ナポレオンに向けって「神という仮説は必要ない」と豪語したそうです。つまり、力学を完成させたラプラスは「最初の一突き」を含め全て科学で説明できる自信があったのでしょう。

ただし物理学は力学だけではありません。その後発達した電磁気学には未解明の事象が多々あり、引き続き宗教との共存が図られました。その後、電磁気学はマックスウェルなどが完成させていますので、現在だと素粒子物理や宇宙物理などが宗教と共存している領域なのかもしれません(あくまで著者の論理に従った場合の話ですが)。

また、中国や日本で科学が発達しなかった理由は、ヨーロッパにおけるキリスト教的な宗教が無かったためとも言います。こちらもなかなか面白い考察だと思います。

著者は宗教や科学の歴史をかなり研究しているようで、ひとつひとつの主張に説得力があります。宗教、科学を単体で学んでいる人にとっては、視野を広げる意味で有用な本だと思います。

 ゆーたんお勧め度
★★★★☆

『老人の美学』筒井康隆

■老人の美学
(著者:筒井康隆 出版:新潮社 発行:2019年10月16日 価格:770円)



作家の筒井康隆氏による「老い」をテーマとしたエッセーです。

著者は80歳以前に「老い」をテーマとした小説をいくつか書いたそうです。実際に80歳代を迎えたいま自著の作品を読み返すと、「老い」に関する認識が違っていることに気付いたそうです。

実際に「老い」を迎えると、「死」に近づくことを実感すると言います。そのような状況下で、筒井氏の考える「老人の美学」とはどのようなものなのでしょうか。本書には様々な観点から持論が述べられていますが、後記でやや逆説的にまとめられた箇所があります。

死とまともに向かい合うのが不愉快なあまり、他の人に対しても怒りっぽくなり、不機嫌を周囲に撒き散らすのはやめていただきたい。死ぬのは厭じゃとわめき散らしているようなものであって、それこそ死期を迎える老人の、最も美的でない生き方である」(P155)

ここから、「老い」としっかり向き合って自分の生き方を自分自身で整理すべきという、筒井氏の「美学」が読み取れます。
以下のような具体的な指摘もあります。

・定年後、過去の職場へ頻繁に連絡するといった行為は、自分の存在価値を確かめたいエゴであり慎むべきである(P58)。
・品行方正で周囲を緊張させるよりは、他人に迷惑をかけない程度の「ちょいワル老人」の方が魅力的である(P80)。

つまり、少子高齢化時代の中で、少数の若い世代に気を使わせることなく、自由に使える時間が多い老齢期を最大限楽しむべきとの主張と理解できます。長寿であっても寝たきりだと充実した人生とは言えません。気軽に楽しめる趣味やボランティアなど、老いを迎える前に準備しておくことも重要と感じます。

筒井氏の意見は「老人の美学」とまでは言い過ぎかもしれませんが、高齢者の生き方として共感できます。付け加えるならば、少数の若い世代への協力を惜しまない姿勢も求められると思います。例えば、労働力人口の減少を補うには女性の更なる社会進出が必要です。待機児童の解消や保育の充実などは、高齢者が協力できる部分も多いのではないでしょうか。また、若い世代の負担を軽減させるといった意味で、高齢者が高齢者を相互支援できる仕組みも必要です。そこから新たな生きがいも生まれてくるのではないでしょうか。

「老い」をテーマとしたエッセーと言うと、石原慎太郎氏の『老いてこそ人生』が思い浮かびます。石原氏は「老い」を悲観的に捉えるのではなく、むしろ人生で最も充実した時期として堂々と迎え撃つことを主張しています。本書『老人の美学』も多少通じるところがありますが、いずれにせよ高齢者の増加は確実に起こる未来であり、個人レベルでも社会レベルでもあり方を考えていかなければなりません。その先に明るい社会、明るい日本の未来があるのだと思います。

本書は若干、内容が薄い点は否めませんが「老い」を考えるひとつの材料として、一読の価値があると思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★☆☆

『燃えよ剣(下)』司馬遼太郎

■燃えよ剣(下)
(著者:司馬遼太郎 出版:新潮文庫 発行:1972年6月19日 価格:869円)



上巻で新選組の最盛期が描かれますが、下巻では衰退の経緯が描写されています。

1867年の大政奉還により、政治かぶれの近藤は動揺します。しかし、喧嘩そのものを生きがいとする土方には動揺が見られません。ちなみに、沖田も土方の路線に近いのですが、若くして病気にかかりその後は闘病生活が長くなります。近藤や土方が沖田を気遣ったり励ます場面も多く、新選組の勢いは凋落段階にあるものの、残ったメンバの団結力と人間味が感じられます。

翌年、鳥羽伏見の戦いが勃こります。薩摩藩を中心とする新政府軍に対し、会津藩を中心とする旧幕府軍は配下に京都見廻組、そして新選組を従え激しい戦闘を繰り広げます。土方は学識は無いものの、精緻な地図の作成や独自の諜報活動を駆使して、旧幕府軍側で戦い続けます。新政府軍を相手に粘り強く戦う新選組ですが、旧幕府軍全体の士気の低さもあってか、退却を余儀なくされます。新選組として初めての敗北です。

さらに徳川慶喜の大阪脱出を知った土方ですが、喧嘩士の本能(P205)でもって戦うことに拘ります。近藤や闘病中の沖田とともに江戸に渡る土方。ここから新選組の「北征編」(P253)となります。著者はこの時期こそ、土方歳三の生涯にとって最も本領が発揮されたと言います。勝沼の戦いで敗れた近藤と土方は激論の末、別々の道を歩むことになります。近藤は大義名分に服し官軍へ降伏(この後、処刑されます)。土方は自分が考えている美しさのために殉ずるべきだと主張し徹底抗戦を選びます。

奥州から函館へ。幕艦に乗り大砲や小銃を用いながらも、あくまで剣での斬り合いに拘り続けた土方歳三。五稜郭から最後の戦いに向かう直前、江戸から追ってきたお雪と別れを交わす土方には、かつての不器用さは消えていました。ストレートにお雪への好意を表現し、死地へと赴いた場面には彼の美学の本質が読み取れた気がしました。

土方は、時代の変化に対応できなかったのではなく、男の本質的なものを貫きたかったのでしょう。動物のオスは一般に攻撃的で、一匹のメスをめぐって他のオスと争い、勝ち残りに命をかけます。土方も思想や大義ではなく喧嘩そのものに精魂を傾け、死を恐れず戦い続けた人物です。これが良いか悪いかは別として、激しい環境変化の中で生きる現代人にも土方歳三の生き方から何か気づかされるものがあるのではないかと感じました。

素晴らしい作品だと思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『燃えよ剣(上)』司馬遼太郎

■燃えよ剣(上)
(著者:司馬遼太郎 出版:新潮文庫 発行:1972年6月1日 価格:869円)



幕末の京都で「恐怖の警察隊」として躍動した新選組。その副長として活躍した、土方歳三(ひじかた・としぞう)の生涯を描いた作品です。上巻では有名な「池田屋事件」を中心に、新選組の最盛期が語られます。

土方は後に局長となる近藤勇(こんどう・いさみ)と同じく、武蔵国多摩郡石田村(現在の群馬県付近)の生まれと言われています。親しい人からは「トシ」と呼ばれた若き日の土方は「石田村のバラガキ」とも揶揄されていました(バラガキは悪党という意味です)。寡黙な性格ながら何をしでかすか分からず、女遊びは派手だったといいます。

喧嘩屋として荒っぽい歳三に対し、後に政治的な関心を強めていく近藤、明るい性格で天真爛漫な沖田総司(おきた・そうじ)との掛け合いは、恐ろしいイメージの新選組と対照的です。

恥ずかしがり屋で感情を表に出さない割に執念深い。天然理心流の使い手で、喧嘩の剣法は滅法強い。そんな土方は、他人の恨みも買いやすい人物でもありました。夜這いから逃げる際に斬ってしまった六車宗伯の敵として、甲賀一刀流を自称する七里研之助(しちり・けんのすけ)につけ狙われます。この七里との因縁は、京都に活動の拠点を移してからも続きます。

そんな近藤と土方ですが、ある時、出羽郷士の清河八郎という人物が浪士組の設立を企画している話を山南敬助から伝え聞きます。成りあがるチャンスと捉えた近藤と、れっきとした武士になれると考えた土方は、これに加盟することを決断します。この機に、近藤は名刀である虎徹(こてつ)、土方は和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)を手に入れ、京都に向かいます。幕末好きの読者の心を捉える場面と言えるでしょう。

京都の壬生に付いた近藤・土方は、清河の寝返りを疑い、新党の結成を画策します。水戸脱藩浪士の芹沢鴨(せりざわ・かも)と手を握り、ここに「新選組」が誕生します。ちなみに、酒乱で問題ばかり起こす総帥の芹沢は、結成直後に近藤・土方らに暗殺されてしまいます。近藤らの狡猾で冷酷な一面が表面化するシーンです。

以後、実質的に土方が統制する新選組は、京都守護職(会津藩)の下部組織として、内部に厳しい規律を敷き活動を本格化します。「池田屋事件」は土方の直接的な関わりは薄いものの、新選組を語る上で外せない事件ですが、本作にはこの事件に関する著者の独特な歴史観が記されており興味深いところです。伊東甲子太郎(いとう・かしたろう)のような知識人と手を組んだものの活動を妨げられる場面もありますが、京都の反乱分子を容赦なく斬りまくる新選組はまさに「恐怖の警察隊」です。

そんな土方ですが、新選組副長となってからも女性関係は続きます。武州時代に関係を持った佐絵との再会。そして、武家女のお雪との出会い。冷酷なイメージが強い歳三ですが、女性との不器用な関わりも物語全体に彩りを与えています。

余談ですが、本作中には同時代を生きた維新側の桂小五郎や、坂本龍馬も登場します。しかし彼らと深い接触はなく、さらりとすれ違う感じで描写されています。幕府側の新選組と維新の中心メンバーたちが、同時代をすれ違う―。そんな歴史の面白さも感じ取れる作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』ピーター・ティール

■ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか
(著者:ピーター・ティール 出版:NHK出版 発行:2014年9月25日 価格:1,760円)



ピーター・ティール。
世界最大のオンライン決済システム『ペイパル(PayPal)』の共同創業者。
エンジェル投資家(ごく初期のベンチャー企業に自己資金を投資する)。
ファイスブックの最初の外部投資家。
宇宙ロケットや人工知能など将来を見据えた投資家。

そんな彼は「ペイパル・マフィアのドン」と呼ばれています。

多数派の意見を積極的に覆す「逆張り思考」を売りとし、現在定説となっている「リーン・スタートアップ」(=事前にあまり計画せずに少しずつ改善することを重視するビジネスモデル)を真っ向から否定しています。ちなみに、こういった「逆張り思考」は『本は同時に10冊読め!』の著作で有名なマイクロソフト日本法人元社長・成毛眞さんにも共通点があります。

本書は、2012年にスタンフォード大学で彼が受け持った起業の講義をまとめたものです。本書は以下のような読者への問いかけから始まります。

「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」

(P22)
これは、著者が考える起業時の7つのポイントの1つ「隠れた真実」を意識化するための問いかけです。

■7つのポイント(P204)
------------------------------------------------------
1.エンジニアリング
 段階的な改善ではなく、プレークスルーとなる技術を開発できるだろうか?
2.タイミング
 このビジネスを始めるのに、今が適切なタイミングか?
3.独占
 大きなシェアがとれるような小さな市場から始めているか?
4.人材
 正しいチーム作りができているか?
5.販売
 プロダクトを作るだけでなく、それを届ける方法があるか?
6.永続性
 この先10年、20年と生き残れるポジショニングができているか?
7.隠れた真実
 他社が気づいていない、独自のチャンスを見つけているか?
------------------------------------------------------

それぞれの内容は、様々な事例を用いて著者が考え方を示しています。概念的説明が中心なので、これを読んですぐに具体的なビジネスが開始できるわけではありません。むしろ、本書から即効性のあるビジネスモデルを考えるのは相当困難でしょう。それくらい一般常識を裏返した高度な要求と感じます。しかし、世界を股にかける企業家たち――考え抜いて富と名声を得た人々――の共通する思考・行動が分かるので、企業を考えている若い方には大いに参考となり、視野が拡大されることは間違いなさそうです。

ちなみに、著者の用いる事例はGAFAを初めとした主要IT企業から、歴史、文学作品など多岐にわたります。著者の教養の広さも本書から読み取ることができ、リベラルアーツ的な発想がビジネスの大局的な把握に役立っているように思えます。本書の最後に、著者のスタンスを端的に記した一文があります。

「今僕たちにできるのは、新しいものを生み出す一度限りの方法を見つけ、ただこれまでと違う未来ではなく、より良い未来を創ること――つまりゼロから1を生み出すことだ。そのための第一歩は、自分の頭で考えることだ。古代人が初めて世界を見た時のような新鮮さと違和感を持って、あらためて世界を見ることで、僕たちは世界を創り直し、未来にそれを残すことが出来る。」

(P253)

他人と違う異なる道を進むのが成功への近道、とは一概には思えないのですが、常識を疑ってかかることは気付きを得る手段として有効と感じます。また、仮説であっても計画を立てて、地に足のついたスタートを切る点については、本書を通じて自分が最も感化された部分です。「プロダクトが素晴らしければユーザーに自然と受け入れられる。営業活動は必要最低限で良い」と自分は考えていましたが、本書はマーケティングの重要性を謳っており、そこからも新しい学びがありました。

このように、本書はビジネスに限らず様々な固定観念を見直す意味で有効な本です。年齢を問わず読む価値が高いと考えます。広くおすすめしたくなる本です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス

■アルジャーノンに花束を
(著者:ダニエル・キイス 翻訳:小尾 芙佐 出版:早川書房 発行:2015年3月13日 価格:946円)



世界的にベストセラーとなったSF小説です。

知的障害者である32歳のチャーリイ・ゴードンは、なじみのパン屋(ドナー・ベイカリー)で働きながら、ビークマン大学・知的障害成人センターに通っています。ある日、ビークマン大学・外科医のストラウス博士や、心理学部長のニーマー教授から、意外な話が持ち上がります。それは、手術によってチャーリイの知能を向上させるというもの。モルモット的な存在である白ネズミのアルジャーノンとともに、周囲の後押しも受けてチャーリイは手術を受けます。

手術後、チャーリイの知能は飛躍的に向上します。様々な言語を短期間で習得したり、大学教授たちを凌駕するサイエンス能力を発揮します。同時に、チャーリイは過去を思い出します。パン屋の同僚たちから嘲笑の的にされていたこと。家族から世間体の悪さを理由に阻害されていたこと。チャーリイはそれらの真相を確かめるため、過去の知人たちを訪問します。悪態は変わらない人。新たな接し方を模索する人。過去も現在も同じように接してくれるアリス先生のような人。しかしチャーリイは、それらの心理を理解できるほど精神面の成長が追いついていません。

「きみはいまとびきりの頭脳をもち、はかりしれない知能と、大方の人間が一生かかって吸収するよりもたくさんの知識を得た。だがきみはアンバランスだ … 中略 … 寛容とかいうものが未発達のままなんだよ。」(P231)

チャーリイはあることに気づきます。知能が低かったときは、周囲に笑われながらも友達がいた。しかし、知能が上がった今は精神面とのアンバランスさを他人が敬遠し、自分は孤立している――。

単純な人間関係に飢えていた(P313)チャーリイは、画家の女性・フェイと関係を持ちます。フェイはチャーリイの過去を知らず、また知ろうともしません。しかし、チャーリイの過去を知りながら全てを認めて付き合える人はいるのか。作中ではアリス先生がその1人ですが、他人を疑うことに固執するチャーリイは、うまく人間関係を築くことができません。

「知能だけではなんの意味もないことをぼくは学んだ。あんたがたの大学では、知能や教育や知識が、偉大な偶像になっている。でもぼくは知ったんです。あんたがたが見逃しているものを。人間的な愛情の裏打ちのない知能や教育なんてなんの値打ちもないってことをです。」(P363)

やがて、アルジャーノンとチャーリイに変化が起こります。短期的かつ作為的な知能向上による反動で、知性そのものが衰退していきます。チャーリイは知能があるうちに、自身の体験と知見を後世に役立てるよう奔走します。最大の理解者であるアリス先生とも心を通わせておきたい気持ちはありますが、チャーリイのとった行動は…。

いわゆるハンディキャップを持った方たちとの関わり方、相手の知能レベルへの偏見など、本書は様々な人間心理の問題を提起しています。個人的には、知能と心のバランスというテーマに関心を持ちました。『ジーニアス・ファクトリー』(デイヴィッド・プロッツ著)では、ノーベル賞受賞者の男性が精子を提供し、知能的に「優秀」な子供が成長するまでの過程が描かれています。本書と似たテーマのノンフィクションとして、ふと思い出しました。

知能だけで人間は幸福になれるのか。知能がなければ人は不幸なのか。
相手の気持ちを考えることが重要なのか。逆に、相手の気持ちが分かれば知能が無くとも幸福なのか。
知能も心も両方ない場合は、不幸と決めつけてよいのか。

アスペルガー症候群』(岡田尊司著)には、世間と歩調を合わせられなくともある分野での特異な才能を活かし、有意義な人生を歩んでいる方々が紹介されています。自分と世間との差異を分かった上で自身の持ち味を出し、周囲と認め合って生きればより良い社会が築けるとの示唆があります。

世界人口が70億人を超えると、その多様性も様々です。また、科学の高度な発達により社会も複雑化する一方です。その中でも、人間同士の関わり・社会での共生は今もこれからも根源的なテーマです。一般解などありえませんが、それぞれが活躍できる舞台があり、その中で大活躍する人がいてもいいし、失敗する人がやり直せる仕組みがある。それを認め合える社会。そんな世界がこれからの21世紀は求められているのだと思います。

本書は読者に色々考える機会を与えてくれる名作です。ぜひ一読をお勧めします。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『夜は短し歩けよ乙女』森見登美彦

■夜は短し歩けよ乙女
(著者:森見 登美彦 出版:角川文庫 発行:2008年12月25日 価格:616円)



2007年の本屋大賞2位にランクインした作品です。京都を舞台として、お酒好きな女子学生と理系大学院に席を置く男子学生が、二人称形式で相互に独白する形で物語が進みます。四章立てで、それぞれ春・夏・秋・冬に対応させたストーリーが進行します。

第一章 夜は短し歩けよ乙女
第二章 深海魚たち
第三章 御都合主義者かく語りき
第四章 魔風邪恋風邪

■第一章 夜は短し歩けよ乙女
大学のクラブのお祝い会で、男子学生は後輩である女子学生に一目惚れします。何とか「偶然の出会い」を装い、彼女との接点を作ろうと画策しますが、全く発展しません。やがて彼女は、李白さんという老人とお酒の飲み比べを始めます。クラブ関係者の借金帳消しを賭け「偽電気ブラン」というお酒を飲み競うというもの(この偽電気ブランは実在するお酒のようです)。見事勝負に勝った彼女は先斗町界隈にて名声を得ます。この章では、男子学生は彼女の後を追うばかりで、成果を得ることができません。
なお、この章で有名な「おともだちパンチ」が登場します(親指をほかの4本の指で包むように握り、繰り出す愛のあるパンチ…とのことです)。

■第二章 深海魚たち
下鴨神社の古本市にて、李白さん主催の「火鍋の食べ比べ」が開催され、4人の男性が希少な書物を賭けて争います。女子学生は思い出の絵本『ラ・タ・タ・タム』が欲しがっているようです。しかも男性が狙う古本市で見つけたその絵本は、彼女が幼い頃に読んでいた本そのもの。それを知った男子学生は『ラ・タ・タ・タム』を賭けて火鍋勝負に参戦し、見事に勝ち残ります。絵本は女子学生の手に渡り、ちょっぴり二人の距離が縮まります。この章は熱い夏と辛い火鍋の描写が生々しく、読むだけで汗が出てきそうです。

■第三章 御都合主義者かく語りき
京都大学の学園祭にて、神出鬼没の自主製作映画サークルが『偏屈王』という演劇を開いています。後半でヒロインの代役に抜擢された女子学生は、最終幕まで役を務めることに。その最終幕が、ヒーローとヒロインの抱擁で締めくくられると知った男子学生は、どさくさに紛れてヒーロー(偏屈王)の座を奪い、彼女と抱き合うことに成功します。この章では「パンツ総番長」など個性的なキャラクタも登場します。現実離れ感は強いものの、個人的に一番楽しく読めました。

■第四章 魔風邪恋風邪
京都の冬に、風邪が蔓延します。男子学生も風邪で寝込んでいます。一方、女子学生は健康体で、病気となった知人たちの看病に奔走します。女子学生は、これまでの火鍋勝負や『偏屈王』を思い出し、先輩の男子学生が気になり始めます。男子学生の地道な努力が、彼女の心を掴み始めたようです。彼女は男子学生の看病で北白川の寮を訪れ、看病の甲斐あって男子学生は復活します。このお返しという名目で、ようやく積極的な行動に出た男子学生。彼女を喫茶店に誘い、ふたりはそこで初めて正面から向き合う…という場面で物語は終了します。

本書はフィクションですが、京都の地名や駅名が次々に出ることで妙なリアリティを感じさせる、不思議な作品です。登場人物たちはみな個性豊かで、女子学生は特に掴みどころのないキャラクターですが、恋心を忍ばせる男性との距離が縮まらず、読者をやきもきさせます。コメディ的な要素が多いものの、物語としてつながっているのが魅力的で、いまだ重版が続いている点もうなずけます。まだ読んでいない方には一読をおすすめしたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『蒼き狼』井上靖

■蒼き狼
(著者:井上 靖 出版:新潮文庫 発行:1964年6月29日 価格:767円)



1206年、モンゴル部族の鉄木真(=テムジン)はクリルタイという部族会議において、モンゴル系・トルコ系の諸部族を統一するリーダーに選ばれます。自らは成吉思汗(=チンギス・ハン)と名乗り、モンゴル(蒙古)帝国を成立させました。本書は、その成吉思汗の生涯を描いた作品です。

1162年、遊牧民モンゴルの聚落に、1人の男児が生まれ、鉄木真と名付けられました。父は首長であるエスガイ、母はオルクヌウト部族のホエルン。しかし鉄木真はエスガイの血筋を引き継いでいない可能性があり、生涯そのことを悩み続けます。同時に自身の境遇から、どのような血統の持ち主であってもその人物の誠実さや実力を評価する姿勢が備わったようです。

父エスガイが毒殺された後、部族のメンバが次々と離れていきます。鉄木真は幼い弟妹たちを引き連れ生死をさまようなど、苦労も重ねたといいます。しかしその勇猛さと機知を活かし、鉄木真は徐々に勢力を拡大していきます。最大の盟友でありライバルであったケレイト族のトオリル・カンを倒し、成吉思汗となった後はさらに進撃を進めていきます。

東は当時最大の勢力を誇った女真人の国・金(きん)を攻め、西はトルコ系の国・ホラズム朝を滅ぼします。また、有能な若い部下を積極的に登用し、北はロシア方面、南はインド方面まで権力を拡大させていきます。西夏(せいか)侵攻の途中で志半ば、1227年に病死しますが、成吉思汗の功績は孫であるフビライが元(げん)を成立させる上で、強固な基盤を作ったことにあるでしょう。

成吉思汗はモンゴルの英雄ですが、侵略者として語る上では非常に残酷です。従う者には寛容だったと言われますが、歯向かう者には容赦ない攻撃を加えます。男性は惨殺され、女性は連行され、金品はごっそり奪われたと言います。成吉思汗に限らず古代・中世の戦争はこのような例が多いと思いますが、当時の英雄たちの支配欲と暴力性に圧倒されます。

成吉思汗の支配欲を支えたものは何だったのか?「あとがき」で著者自身も回想していますが、
哀れさや貧しさをモンゴルの民から取り上げ、もっと豊かで富んだものを与えたいと思った」(P389)
というモンゴル部族=蒼き狼としてのプライド、仲間思いの側面も強かったのだと思います。

また、成吉思汗のリーダーとしての適性にうなづける場面があります。自分にいつも戒めの言葉を投げかける知識人・耶律楚材(やりつそざい)をそばに置いていたことです。成吉思汗が短絡的な人物であれば、このような「耳の痛い」存在は遠ざけることでしょう。しかし、周囲をイエスマンで固めず様々な意見に耳を傾けたことは、リーダーとしてのポイントと思われます。また、成吉思汗は戦略に悩んだ際、部下だけでなく妻たちにも意見を求め、最終的には自分が判断を下しています。判断を下した後はぶれることなく、指示を徹底しています。ここにも現代のリーダー達が見習うポイントがあると言えるでしょう。

物語自体大変秀逸なのですが、ジュチをはじめとする子供たちの純粋さ、愛人である忽蘭(=クラン)の芯の強さや原点を見失わない姿勢など、人生訓も多く得られる作品です。史実に加え、著者の想像力で書かれた部分もあると思われますが、特に企業のリーダーを目指す方たちに読んでいただきたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『三体』劉慈欣(りゅう・じきん)

■三体
(著者:劉 慈欣(りゅう・じきん) 出版:早川書房 発行:2019年7月4日 価格:2,052円)



「中国で三部作2,100万部以上を突破」「アジア&翻訳もの初のヒューゴー賞受賞」「現代中国最大の衝撃作、ついに日本上陸」。超大作SF小説の日本語訳出版に、ファンの間で大いに話題となった作品です。バラク・オバマ元アメリカ大統領も本作の壮大さに感銘を受けたと言われています。

序章は1967年、文化大革命に揺れる中国で1人の少女に起きた悲劇から始まります。彼女の名は葉文潔(よう・ぶんけつ)。後に彼女は冤罪を着せられ、あるプロジェクトへの参画を打診されます。プロジェクト名は<紅岸>。ここで文潔は一生を過ごすことを決意しますが、これが四十年後の物語の伏線となります。

四十年後。ナノマテリアル科学者である汪淼(おう・びょう)の元を警察官たちが訪ねてきます。汪淼は、謎のコミュニティ<科学フロンティア>へ参加し、内情を探ってほしいと依頼されます。その求めに応じた汪淼は、眼内に不気味なカウント・ダウンが現れ、ナノマテリアル開発を中断するよう無言の脅迫を受けることになるのです。

汪淼は<科学フロンティア>のメンバーが多数プレイしているという、あるネットゲームの存在を知ります。そのゲーム名は<三体>。彼は自身に起きている問題を取り除くための手がかりを求めてVスーツを着込み、ゲームへログインします。そこは、3つの太陽が存在し、太陽間のバランスで適度な気候が保たれる「恒紀」と、バランスを失い生活環境が破壊される「乱紀」を繰り返す世界です。世界史上の英雄たちが登場し、彼らと「乱紀」の到来を予測するための議論を続けます。英雄は時系列に関係なく現れ、例えばあるログイン時はニュートンと秦の始皇帝が同時代に現れるという出鱈目ぶりです。

問題の核心に近づき始めた汪淼は、<科学フロンティア>のオフ会に参加します。ここで予想だにせぬ人物が登場します。この人物が出会った奇想天外な運命と<科学フロンティア>の趣旨、内情が明かされますが、ここから物語は急展開を迎えます。<紅岸>プロジェクトで一体何が起こっていたのか?<三体>とはいったい何なのか?地球の運命をも左右する事実とは?その事実を前に科学者たちはどう立ち振る舞っていくべきなのか?物語が最高潮に達したところで、本作は次の第二部作『黒暗森林』(日本語版は2020年に発売予定)へ引き継がれることになります。

本作はハードSFにも分類されるのでしょうか。物理学や天文学などサイエンスの要素が散在しており、特に理系出身者にはたまらない作品です。VR(仮想現実)によるネットゲームの世界感があり、最先端の技術も包含されています。世界史上の英雄たちに友人感覚で会話させることで、作品全体の面白さを倍増させています。これら様々な要素を宇宙という壮大な舞台でつなぎ合わせたストーリーは、驚嘆の一言です。著者の知識量に驚くとともに、よくこれだけの物語を創造できたなぁと感心するばかりです。

本作は今後、SFファン必読の作品として位置付けられ、読み継がれていくことと思います。とても面白くドキドキ感を味わえます。多くの方に強くおすすめしたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『モビリティと人の未来: 自動運転は人を幸せにするか』「モビリティと人の未来」編集部

■モビリティと人の未来: 自動運転は人を幸せにするか
(編集:「モビリティと人の未来」編集部 出版:平凡社 発行:2019年2月9日 価格:3,024円)



2019年2月、自動運転車を手がける新興企業「Aurora」が、シリコンバレーの大手投資家たちから約590億円超の出資を受けたとのニュースがありました。「自動運転」の到来を感じさせるニュースですが、技術的な問題以外にも制度見直しや環境整備など、実用化に向けて様々な障壁が予想されます。「自動運転」を取り巻く世界観はどのようなものなのでしょうか。

本書『モビリティと人の未来』のイントロダクションには「自動運転の技術動向を論じる本ではなく、自動運転を切り口に未来社会のあり方を洞察する本」(P4)との紹介があります。さらに「自動運転が私たちの生活をどう変えるのかを考える際に重要なのは、私たちの生活の中での「移動」にどのような価値があるか考えること」(P7)とあります。「自動運転」を広い範囲でとらえたい読書には読む前にモチベーションが上がる文章です。

「移動」の価値を考える際、まず最初に時間的なコストや安全面のリスクが思い浮かびます。特に安全に対する考え方は発想の転換を求められることでしょう。日本での交通事故死者数は年間3,000人規模ですが、「自動運転」によりこの数字がどう変わるのか。例えば1,000人となれば「良い」となるのか。「自動運転」による事故が「1」でも発生したら「許されない」となるのか。本書では科学哲学者の村上陽一郎氏が「安全学」の見地から興味深い考察を行っています。

また、交通インフラも「自動運転」にフィットした形へ変化が求められるでしょう。現代の道路や都市は人間が運転することを前提に設計・標準化されていますが、IoT(Internet of Things)と融合した「自動運転」は、管理統制のあり方も含めて変わらなければなりません。このような時代には個人の車所有ではなく、シェアリングする形が一般的となる可能性もあります。

さらに、もっと大局的な指摘もあります。
「自動運転技術を始めとする新しい技術イノベーションを眼前にして、我々は選択肢を突き付けられているのである。それは、「日本は大国になりたいのか(大国でいつづけたいのか)」ということである」(P57)
国家論にも通ずる指摘ですが、車が我々の社会にどれだけ根付いているかを実感させる提起とも取れます。

なお、技術動向について言うと、現在は「レベル2」から「レベル3」を目指す段階のようです。これは、高速道路のような単純な流路に対しては機械が担当し、一般道のような複雑な要因が絡む場合は運転を人間にチェンジされる状態です。特に一般道は歩行者も利用するため想定外の事象が多々発生することでしょう。「自動運転」の初期導入から全てに対策を打つのは困難かもしれません。様々な事例を積み上げて自動運転の完成度を高めていくのだと思いますが、そのために人の命を代償にするのかという意見も出るはずです。

このように、自動運転はインフラ面の変更だけでなく、機械と人間が共生する上での考え方や人間の価値観の転換を求められます。本書は様々な専門家が非常に広い観点から考察を行っているため、読者の視野が拡大されると同時に、全体を整理することの難しさを痛感させられます。とても密度が濃い本なので、自動運転だけでなく科学技術と人間の関係を考える上でも参考になることが多いと思います。サイエンスに関心がある方にはぜひお勧めします。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『竜馬がゆく(一)』司馬遼太郎

■竜馬がゆく(一)
(司馬遼太郎著 / 文春文庫 発行:1998年9月10日 価格:756円)



土佐藩の郷士であり江戸時代末期の志士でもあった坂本竜馬(1836年~1867年)。倒幕運動・明治維新の立役者として広く認知されている人物です。

司馬遼太郎の歴史小説は俗に「司馬史観」と呼ばれます。本書『竜馬がゆく』も、司馬の独特な筆致によって描かれた「坂本竜馬」の伝記です。本書の「坂本竜馬」が一般的な竜馬の人物像として、日本国民の間に定着しているとも言われています。型にはまらず、自由人の気質が強い「坂本竜馬」。賛否両論ありますが、司馬の描いた「坂本竜馬」は実際の竜馬と「当たらずと言えど遠からず」といった距離感ではないでしょうか。そのような大胆な人物でなければ、薩長連合や明治維新といった日本史の分岐点で活躍できなかったと思うからです。

本書第一巻では、竜馬の江戸への旅立ちから、江戸の千葉道場での成長、ペリー率いる黒船との遭遇、長州藩の桂小五郎との剣術試合までが収録されています。

本書では、竜馬を取り巻く魅力的な女性が多数登場します。

まず、幼少期弱虫だった竜馬を厳しくも暖かく育ててくれた乙女(おとめ)姉さん。物語を通して、竜馬の人間的な優しさが随所に見られるのは、この乙女姉さんの影響が大きかったのかもしれません。

さらに、竜馬の殿方筋にあたるお田鶴さま。このお田鶴さまは、司馬の創作の人物と言われますが、山内容堂の侍女であった実在の人物・平井加尾(ひらい・かお)がモデルと言われています。竜馬の初恋の女性と言われていますが、身分の差が大きく、いわゆる「禁断の恋」でもあったのでしょう。しかし、竜馬はそのような壁を感じさせない接し方で、一人の女性としてお田鶴さまに向き合っている様子が描かれています。物語全体をとおして、このお田鶴さまと接する場面は読者に不思議なわくわく感を与えてくれます。

そして、千葉道場の若先生・千葉重太郎の妹である、さな子。竜馬への恋心を見せながらも、竜馬の破天荒な行動を強く諫めたり、あからさまに嫌悪感を示す場面があり、読みながら微笑ましくなることが多々あります。竜馬もさな子の想いには気づいており、重太郎も2人の縁談を促しているため、この先どうなるのか興味が尽きません。

このように、様々な女性から好感を持たれる「坂本竜馬」という人物は、大変魅力がある青年だったのでしょう。剣術修行にも熱心で、実際の腕前も素晴らしいので、頼りがいのある人物です。その一方、政治的な話には、周囲に惑わされることなく自分の価値観を強固に持っており、自分の信念を貫いて行動できる人物だったようです。このような男性はどう考えても「モテる」に違いありません。「モテる」男性は、何かしら内面的な個性と輝きを放っていることが多いと思いますが、竜馬は日本歴史上、トップクラスに位置する魅力的な男性だったのでは、と思わされます。

江戸末期、幕府の力も弱まり外国からの圧力も強まってきた時代に、独自のパフォーマンスで日本を動かした坂本竜馬。その壮大な物語の原点が、この第一巻には凝縮されています。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義』デービッド・アトキンソン

■日本人の勝算: 人口減少×高齢化×資本主義
(著者:デービッド・アトキンソン 出版:東洋経済新報社 発行:2019年1月1日 価格:1,620円)



「平成」の30年間を振り返ると、誰もが「経済不況」というキーワードを思い浮かべることでしょう。政府はこれまで、金利を下げて通貨量を増やすという量的緩和を中心に対策を進めてきました。しかし今後は、他の先進国に先駆けて「人口減少」「少子高齢化」という2つの問題にも直面します。特に若い世代が減少すれば、需要が落ち込むことは確実です。つまり「需要が潜在している」という前提に立った量的緩和だけでは、これからの日本経済は間違いなく行き詰まります。

その一方、日本にはこれからも生かせる強みが残されていると言います。例えば、2016年のWorld Economic Forumのランキングによると、日本の人材評価は世界第4位で、これは大手先進国としては最高ランクと言います(P225)。人材が優秀であるならば、1人1人の能力を最大限発揮させる仕組みや仕掛けが有効となるでしょう。つまり、労働生産性の向上によって、経済の活性化に寄与できる可能性が高いということです。

著者のデービッド・アトキンソン氏はイギリス出身で、日本在住30年の経営者です。客観的に日本の強み・弱みを把握されており、需要減少に応じた過剰供給の改善、生産性向上の必要性を本書で提議されています。著者は本書で「日本はやり方次第で、生き残りが十分可能」と主張されています。では具体的にどのような行動をとれば良いのでしょうか。

1つ目に、企業規模の拡大が必要と言います。
OECDデータによると、日本では20人未満の社員の企業で働く労働者の比率が、全労働者の20.5%だそうです。先進国の場合、これら小規模企業に勤める労働者の比率の生産性の相関係数は0.93(最大:1)なので、日本の生産性が低い原因の1つが、小規模企業に勤める労働者の多さと言えるようです(P121)。従って、企業統合などにより、個々の企業の規模を拡大すれば、積極的な設備投資も可能になり、生産性が上がるのではないかと想定されます。

これは半分は共感できます。日本は下請け企業や、伝統的な技術を生かした小規模企業が多く、全体で見ると効率が悪いように思えます。しかし、大規模企業であれば社員全員が能力を発揮できているかというと、疑問が残ります。大規模企業は官僚的で、いわゆる社内政治も多く非効率な側面も否定できません。また、誰かが断った仕事は別の誰かが引き受ける暗黙の仕組みがあり、大企業社員の「働きぶり」には濃淡があると言われます。このあたり、日本人の国民性を鑑みた更なる妥当性の分析が必要かもしれません。

2つ目に、最低賃金の引き上げを提唱しています。
著者の母国であるイギリスは、全国一律の最低賃金引き上げを段階的に実施し、生産性の向上を実現しつつあると言います。日本は最低賃金が先進国でも最低レベルで、国策による半強制的な引き上げによって、経営者も生産性の向上に乗り出し、効果が期待できると言います。

これも半分は共感できます。特に小規模企業や、女性社員に対する賃金は低すぎる印象があります。しかもこのような職種ほど激務が多く、これでは生活の維持が精一杯で、消費の抑制や出生数の減少に歯止めがかからないのは当然と言えます。一方、最低賃金の引き上げによって、経営者が本気で生産性の向上に取り組むのか日本の場合は注意が必要かと思います。日本人は一般に転職が苦手で、かつ、経営者に対し従順です。そのような社員心理を利用した経営者が増えないか不安があります。一方的な残業規制による隠れサービス残業の増加などが無いよう、経営者側の意識改革も進んでほしいものです。

その他、輸出の拡大などにも言及されていますが、本書は全体として、多数の論文や事例を積み上げる帰納的な論旨を展開しています。人口減少と少子高齢化のダブル対策は例が無いため、演繹的なモデル化は今後成されていくかと思いますが、それでも本文中には有効と思わされる提案・ヒントがちりばめられています。本書の提案は、企業経営や国家政策に限定されているので、個人レベルで行動できることは少ないのですが、日本の置かれている現状を認識する上では価値がある指南書です。

最終章で触れられていますが、日本で改革を実施しようとすると、既得権益者や、変化を嫌う層からの抵抗が大きいという問題があります。最近の日本はポピュリズムに傾いている状況もあるので、選挙で議席を獲得する上では各政党が革新的なマニフェストを打ちづらい事情もあるでしょう。民主主義の負の側面なのか、マスコミの問題なのか、国民性の問題なのか。要因は多岐に渡ると思いますが、日本を敬愛してくれる著者の意見には率直に耳を傾け、真の国益とは何かを我々国民も真面目に考える時期が来ていると思います。本書はそのきっかけを与えてくれる大変有益なレポートです。老若男女を問わず、ぜひ一読をお勧めしたいと思います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『Why Digital Matters? ~ “なぜ"デジタルなのか ~』村田聡一郎/SAPジャパン

■Why Digital Matters? ~ “なぜ"デジタルなのか ~
(監修:村田聡一郎/SAPジャパン, 編集:プレジデント経営企画研究会 発行:2018年12月13日 価格:1,728円)



日本企業は「現場」が優秀で、精神力(=いわゆる根性)もあるため、現場に頼った「日本的経営」が成立してきました。現場社員に考えさせる「カイゼン」はその象徴と言えるでしょう。一方、欧米諸国は日本のような「現場力」が弱いと言います。欧米の現場社員は日本ほど従順でなく、合理的に動くためでしょうか。そのため、諸外国では早くから仕事のデジタル化が進められてきたようです。生産年齢人口が豊富な時代は「日本的経営」モデルが有利だったものの、人口減少・少子高齢化が進むにつれて、逆転現象が起こっています。つまり、日本も仕事のデジタル化に転換しなければ、経済力が下降することが確実です。

と言っても、全てをデジタル化すれば良いわけではありません。ヒトとデジタルには得手不得手があります。今後は業務の仕分けを行い、考える仕事はヒト、ルーチンはデジタル、という分業が望ましいと思われます。ちなみに、デジタルの対義語はアナログですが、本書では敢えて「フィジカル」(=物理的なもの、ヒト)としています。

「DX」(デジタルトランスフォーメーション)は、AIやロボットを使って、単に仕事を効率化することに留まりません。単純業務は効率化し、浮いたヒトのリソースも使って、どのような新しい価値を生み出すか?を考えることにあります。そう言われると、「新しい価値とは何か?どう考えればいいのか?」を聞きたくなります。本書ではその枠組みとして「デジタル活用を考える「十字フレームワーク」」が提示されています。縦軸に「従来の競争軸」、横軸に「デジタルによる新たな競争軸」を取り、第一象限にある「顧客の真の欲求」に向かって、既存事業とデジタルを組み合わせ、顧客にどのような価値を提供できるかを強制的に考えるものです。

「顧客の真の欲求」とは何なのでしょうか。
これはそのまま、企業の生き残りをかけた事業戦略につながる最重要課題と言えます。本書では、ここを導き出すための「デザイン思考」が紹介されていますが、要は顧客に軸足を置いて、顧客の経営課題は何か?自分たちが提供すべき価値は何か?を抽出する仕掛けになります。単に考えるだけなく、環境の変化や法律の規制、技術動向など幅広い知見が必要で、ここに論理的思考力が要求されることは、言うまでもありません。

また、本書では全体を通して、デジタル化を成功させるポイントが繰り返し強調されています。
 ・ソフトウェアは自社開発してはならない。コストの1社負担は回避すること。
 ・汎用パッケージを最大限活用する。オーダーメイド・カスタマイズをしないこと。
 ・垂直分業を志向し、他社の力も積極活用する。全て自社で作ろうとしないこと。
以上は、すべて「コスト分散」「シェアリング」という言葉に集約されます。DXを考える上で重要な要素と言えるでしょう。

本書には、DXやイノベーションの成功事例が多数紹介されています。コマツの『スマートコンストラクション』や『LANDLOG』などは、建設業界が「現場を簡単に把握し、投入リソースを最小化したい」という欲求を、IoTやドローンといった技術を用いて現場を可視化し、システム的に結び付けて応えるものです。技術は手段ですが、明確な目的があって初めて威力を発揮することも学べる事例です。

また、ドイツの自動車メーカー・ダイムラーの『car2go』などは、自動車業界の状況、少子高齢化もうまくとらまえたソリューションです。レンタカーの位置情報を活用し、借りたいときに借り、乗り捨てて利用分の料金のみ精算するもので、すでにアメリカなどでは普及しています。ここにも「シェアリング」の要素が入っており、よく練られた上での事業という気がします。

これらの事例は、本書後半で紹介される「デジタル・プラットフォームの4層構造」にまとめられると言います。従来のビジネスモデルは「モノ」や「ヒト」が移動しますが、新たなモデルは「データ」が媒介の主役になると言います。事業基盤たる「デジタル・プラットフォーム」を第3層に据え、能動的・受動的に収集する第1層の「データ」を活用し、第2層のインタフェースを介して、第1層にいる顧客にどんな価値を提供するのか。第4次産業革命(=インダストリー4.0)を迎えるにあたり、根本的に発想を変えなければ事業が成立しないことをまざまざと見せつけられる思いがします。

世界の変化に対し、日本の動きは遅いと言われます。過去の成功体験から抜け出すのは難しく、変化にはリスクも伴いますが、国の政策ばかりに頼るのではなく、どんどん動き出さなければなりません。そんな思いを強くさせてくれる本です。若干、SAP社の企業宣伝の側面があるのですが、ビジネスパーソンは必見の本としてお勧めします。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『人事コンサルタントが教える 生産性アップにつながる「50」の具体策』岩下広文

■人事コンサルタントが教える 生産性アップにつながる「50」の具体策
(岩下広文著 / 中央経済社 発行:2018年11月23日 価格:2,700円)



日本経済を取り巻く環境が大きく変化しています。人口減少に伴う内需の縮小、生産労働人口の減少。途上国の経済発展に伴う競合勢力の増大。ブラック企業に代表される劣悪な就業環境が明るみに出たり、パワーハラスメントによる痛ましい事件も起こりました。そのような背景を踏まえ、「働き方改革」や「生産性向上」と言ったキーワードが急速に流布しています。

しかし、これらのキーワードは目的実現のための「手段」でしかない(P64)と言います。まずは自社の目的をはっきりさせ、そのための手段である生産性向上の定義を確定し、具体的な取り組みに結び付ける必要があると言います。

多くの企業が生産性向上に取り組んでいますが、「残業の抑制」や「休暇取得の推奨」といった表面的な取り組みに終始しているのが実態ではないでしょうか。本書によれば生産性向上を目指す目的は4項目に大別されると言いますが、会社の業績を拡大したいのか、人不足を解消したいのか、明確化することを本書は推奨しています。

広義の生産性は「アウトプット」÷「インプット」で算出されますが、生産性向上に取り組むにあたり、日本企業の共通的なボトルネックは4つある(P70)と言います。
・アウトプットのボトルネック…無駄なアウトプットが多い/低付加価値なアウトプットが多い
・インプットのボトルネック……社員数が多い/労働時間数が長い
「働き方改革」などは、インプット側の「労働時間数が長い」を解消する手段と言えそうです。

さらに、生産性向上へのアプローチとしては社員の意識改革から切り込む場合や、制度整備に着手するケースなどがあります。具体的な取り組み施策は「人事マネジメント」の観点で50事例紹介されており、人事部や管理職に携わる方には必読の内容となっています。中には「生産性手当の導入」など、著者曰く「エッジが効いた」事例も含まれています。

本書で繰り返し述べられていますが、「生産性向上」という総論だけに留まると、取り組みは頓挫すると言います(P196など)。例えば、アウトプットもインプットも結局は社員が生み出すものなので、社員心理を意識した取り組みでなければなりません(P198)。本書では取り組みが上手くいかない場合の対処策まで言及されていますが、「生産性向上」に成功している企業は少ないと思いますので、まずはこの部分から読むと良いのではないでしょうか。

…私は技術職に従事していますが、生産性を考える際いつも悩むのが、分子である「アウトプット」をどう定義するかです。営業職ならば売り上げ額など分かりやすいデータがありますが、技術分野で何を成果と考えるのか難しい(そもそも、本書の指摘にある通り、「目的」を明確化できていないことに起因するとは思いますが…)。これについても、「業種ごとの労働生産性の捉え方」(P26)にて例が示されています。例えば、建設業であれば「建築延べ床面積」、運輸業であれば「積載量」や「走行距離数」をアウトプット数値にするケースがあるとのことです。個人的には、この部分が大変参考になりました。

本書は「労働生産性」について、背景から定義、検討の進め方から数多くの事例まで、非常によくまとめられている印象を受けます。よくここまで簡潔かつロジカルに整理できたなぁと驚きました。「労働生産性」については、本書に勝るマニュアルは少ないのではないでしょうか。それほど良く一般化された本だと思います。

「労働生産性」のような分野は、結局「ヒト」への向き合い方が争点になるので、各論に行くと様々なケースやトラブルが発生するかと思います。行き詰ったり迷いが生じた場合は、基本に立ち返るのが王道ですが、その際の拠り所として本書は有用ではないでしょうか。ビジネスパーソン全般にぜひ一読をお勧めしたい本です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

新・北斎展 HOKUSAI UPDATED

●新・北斎展 HOKUSAI UPDATED
(東京都港区六本木6-10-1 森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ 森タワー52階))

https://hokusai2019.jp/

新・北斎展

日本絵画のスーパースターとも言われる江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎。風刺画から『富嶽三十六景』に代表される壮大な風景画まで、多くの作品を残していると言われています。日本のみならず、ヨーロッパなどにも北斎の愛好家は多いそうで、『睡蓮』などの作品で有名なフランスの画家・モネも、北斎の作品をコレクションしていたと言います。

本展覧会は、北斎作品の研究家・収集家である永田生慈(ながた・せいじ)氏が、私財を投げ打って集めた作品群を故郷の島根県へ寄贈するにあたり、東京で公開される最後の機会ということで注目を集めています。

本展覧会では、北斎の20歳のデビュー作から90歳の絶筆まで、約480の作品が展示されています。北斎の絵師人生を、作風の変遷などによって6期に分けて紹介されています。

① 春朗期:勝川派の絵師として活動(20~35歳頃)
② 宗理期:勝川派を離れて肉筆画や狂歌絵本の挿絵等で活動(36~46歳頃)
③ 葛飾北斎期:読本の挿絵に傾注した時期(46~50歳頃)
④ 戴斗期:多彩な絵手本を手掛けた時期(51~60歳頃)
⑤ 為一期:錦絵の揃物を多く制作(61~74歳頃)
⑥ 画狂老人卍期:自由な発想と表現にて肉筆画に専念(75~90歳頃)

若い時代は、漫画の挿絵や歌舞伎の賑わいなど、庶民的な絵を多数描いています。海外の絵画に多く見られる、宗教的なものや社会批判的な要素がまったくなく、とにかく明るい作風が印象的です。百人一首や、太平記などの軍記物を題材にしたものもあります。女性を多く描いている時代もあります。カエルやタコを描いたものまであります。ここに、北斎の好奇心の広さと、とにかく絵を描くのが大好きという人物像がうかがえます。おそらく、もっともっと絵が上手くなりたいという、向上心に溢れた人物でもあったのでしょう。

老年に近づくにつれて、風景画など、タッチの壮大さが際立ってきます。『富嶽三十六景』で有名な『神奈川沖浪裏』や『凱風快晴』もしっかりと見ることができました。そして、最後に控える絵画『弘法大師修法図』は迫力満点です。左側の鬼を、当時流行していた疫病の象徴としているのに対し、右側に座する弘法大師が退散を念じている絵は、これまで北斎が地道に積み重ねてきた想いや技法を全て出し切っているかのようです。また、『雨中の虎図』と『雲龍図』はもともと1つの作品でしたが、現世を表す虎の絵が日本、天を表す龍の絵がフランスに保管されていたそうで、時と場所を越えて同じ空間で鑑賞できることに深い感慨を覚えました。

北斎の作品はピカソなどと異なり、年齢とともに作品がどんどんダイナミックになっていくので、本展覧会のように年代を追って鑑賞していくと、最後まで飽きることなくクライマックスを迎えることができます。興味のある方はぜひ鑑賞をお勧めします。展覧は2019年1月17日から3月24日までです。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『一九八四年』ジョージ・オーウェル

■一九八四年
(ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳 / 早川書房:2009年7月18日 価格:929円)



ジョージ・オーウェルはイギリスの作家です。本作は、ユートピア(=理想郷)の正反対の社会を描く「ディストピア」というカテゴリに属する小説だそうです。H・G・ウェルズの『タイムマシン』などが有名ですが、本作『一九八四年』も、2002年にノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」に選ばれるほどインパクトの強い作品です。

オーウェルは1936年に始まるスペイン内戦へ、ファシズム軍に対抗する一兵士として参加しています。ここでオーウェルは独裁体制への反発に感銘を受けたと言います。同時に、ソ連からの援助を受けた共産党軍のスターリニストに強い憤りを覚えたと言います。このような経験を通して、全体主義や独裁国家の恐ろしさを描いた『一九八四年』が生まれたのではないでしょうか。

本作は、1950年代に核戦争が勃発し、全世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3地域へ分割され、絶え間なく戦争が続く世界を舞台として描かれています。主人公のウィンストン・スミスは「オセアニア」の党本部にて、過去の出版物の改竄に務める39歳の男。「オセアニア」は完全なる監視体制が敷いており、公共の場は当然として、個人宅にも監視カメラや集音マイク、「テレスクリーン」と呼ばれる監視モニタが縦横無尽に設置されています。そこは、反体制とみなされるわずかな行動でも処罰の対象とされる世界です。そのような中でスミスは、数年前から党体制への疑念を抱いており、ひそかに日記を残して将来的な党の打倒に備えようとします。

勤務する党本部には、価値観を共有できそうな男性や、嫌悪を覚える若い女性がいます。こういった人物と関わりを持ち始めるスミスは、希望と絶望のはざまに揺れながらも行動を起こしていきます。組織による全体統治が、個人の信条や思想の自由をどこまでコントロールしうるのか。そのような圧迫に対し、個人はどこまで信念を貫けるのか。恐怖心を抱きながらも、途中から目が離せなくなる作品です。

「オセアニア」が国民をコントロールする手法として、本作には独特の考え方が登場します。「ニュースピーク」はその1つで、党体制以外の思考様式を一切不可能にする、新たな言語体系です。例えば「free」という単語は、通常の英語だと「自由な」/「免れた」という複数の意味がありますが、「ニュースピーク」では「免れた」という意味は許されても、思想や行動上の「自由な」という意味は許容されません。よって「ニュースピーク」では「free」という単語が「免れた」のみの意味を持ちうる、別の単語に置き換えられることになります。

このように言語や日常生活のあらゆる部分まで統制・監視され、反発分子は即刻処罰される世界観は、受け入れがたいものがあります。ところが、本作ほど厳密でなくとも、似たような体制が過去や現在の世界にもあることは、誰もが知るところです。決して空想の物語ではなく、政治や軍事が方向性を誤ると「明日は我が身」になりかねません。「民主主義」と言われる日本でさえ、マスコミの偏った情報でポピュリズムが形成され、世論誘導されていると言わざるを得ない場面もあるのではないでしょうか。

藤原正彦著『国家の品格』において、藤原氏は真のエリートによる国家運営の必要性を説いています。しかし、エリートと言えど人間である以上、判断の誤りは常に想定されます。重要なことは、そのようなエリートを多数養成し、スピード感を持った議論を重ねて判断を適正化していくこと。また、それらエリートを選びジャッジする国民も、本やメディアなど多様な価値観に接して一定の知識と教養を身に着けること。人口爆発が加速する世界ではむしろ逆行する動きが強いのかもしれませんが、戦後飛躍的な発展を遂げ、高度に進歩した日本はそうあってほしいと願います。そして、自分ももっと本を読んで様々な価値観を知り、物事の本質を見極められる人間になりたいと感じます。

世界的にもベストセラーとなった作品であり、村上春樹氏の『1Q84』も本作が背景にあるそうです。ぜひ押さえておきたいSF小説として、おすすめしたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『官僚たちの夏』城山三郎

■官僚たちの夏
(城山三郎著 / 新潮文庫発行:1980年11月25日 価格:637円)



本書は人事院が公表している『「若手行政官への推薦図書リスト」について~行政官としての素養を高めるために~』で「文学・言語」の1冊にあげられています。

人事院の推薦文は以下のとおりです。
「戦後日本経済が本格的な成長発展を遂げた時期の若き官僚達が情熱を持って仕事に打ち込む姿が生々と書かれており、若い官僚諸君を勇気づける。」

実際にはどのような内容なのでしょうか。

大臣官房秘書課長である風越信吾。声の大きさと圧倒的な推進力を武器に、省内の人事権を掌握していきます。全力で仕事に打ち込む部下を好み、彼らを要職につけながら独裁体制を築いていきます。「木炭自動車」のあだ名がつけられた庭野は、粘り強く政策論争を牽引する後輩官僚。やや影が薄い牧順三は、西洋的な政策に惹かれ、独自路線を進もうとする扱いにくい部下ながらも風越の人事カードに切り札的に残されています。様々な個性を組み合わせ、人事戦略を練りながら自分の「やりたいこと」を成就させようとする風越は、こういった後輩からの信望が厚い人物です。強引かつ傍若無人な振る舞いが外部からの反感を買うこともあり、入れ替わりの激しい通産大臣としばしば衝突することもあります。

一方、全力投球とは対照的な人物もいます。ワーク・ライフ・バランスを優先する新しいタイプの官僚です。「きまったことをやっていればいい」という考えの大臣も登場します。風越一派とは相容れない価値観ですが、物語の最後でどちらが主導権を握っていくかも興味深いところです。

官僚には良い側面と悪い側面があると言われます。高度な情報処理能力や調整能力はもちろんのこと、国家の発展や周辺国家からの防御を献身的に考える姿勢は「良い」側面と言えるでしょう。その反面、省益の優先や自己の出世、天下りの斡旋などは「悪い」側面と言われますが、本書で登場する官僚たちにはそのような「悪さ」が見えません。腕力で人事を動かす風越は、強権的という意味で世間一般には「悪い」官僚かも知れませんが、政策を推し進め日本の経済力を底上げする上では「良い」官僚とも言えます。憎めないと言いますか、純粋すぎるが故の行き過ぎた行動が目に付くものの、国家天下を案じる姿勢は驚嘆すべきものがあります。先行きの不安も多かった1960年代は、このような無垢な空気と情熱が今よりも強かったことでしょう。

ところで、物語中盤の風越の発言に「秘書官は無定量・無際限に働け」というものがあります。庭野は体を酷使し、業務外のお付き合いにも極めて従順です。風越の期待に応えようとする想いと、官僚とはこうあるべきというプライドがあるのでしょう。しかし、新しいタイプの官僚は飄々と合理的に仕事をこなします。

仕事の考え方は人それぞれですが、熱意が欠けすぎるのも問題ですし、精神論に傾きすぎてもいけません。生産性の向上や効率性が叫ばれる現代では、バランス感覚と言いますか、メリハリを付けれる人材が求められるのだと思います。そのような観点からも色々と考えさせられる作品です。

官僚に関する実体験としては山口真由氏の『いいエリート、わるいエリート』、などが秀逸ですが、本書はフィクションでありながら官僚たちの生きざまが仮想体験できる素晴らしい小説です。実際の若手官僚にもよく読まれていると言います。一般企業に勤めるビジネスマンにも通底する内容があるため、ぜひおすすめしたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『「超」MBA式ロジカル問題解決』津田久資

■「超」MBA式ロジカル問題解決
(津田久資著 / PHP 発行:2003年11月4日 価格:1,620円)



著者は様々なコンサルティングファームを渡り歩いた経験を持つ、ロジカルシンキングのプロフェッショナルです。その経験から、より実践的な問題解決に役立てる意味で本書を「超」MBA式と銘打ち、「マインド」「ツール」「情報」の3本柱を据えて論旨を展開しています。

「マインド」で重要なのは「結論志向」と言います。手持ちの情報が不完全であっても仮説を駆使し、とにかく結論を出すこと。手持ちの情報や仮説でまずは全体像を「組み立ててみる」こと。さらに、仮説を使って出した結論を「ゼロか一か」の一に向かって進化させていくことで完成度を高めていくこと。そこにスピード感も生まれてくると言います。

これはビジネスに少なからず携わった方は共感できることでしょう。「とにかくやるうちに問題点が明らかになり、それにつれて次にやるべきことも自ずと定まる。そして最後には、誰がどこから見ても申し分のない結論がまとまる」(P68)という言い分は一見、もっともなように聞こえますが、悪しき完全主義とも言うべき姿勢であり、情報が完全となるまで動けなくなります。これでは事業変化のスピードに確実に乗り遅れます。具体的なロジカルシンキングの学習前に、まずはこのようなマインド、つまり心構えを持つことが肝要と思い知らされます。

次に「ツール」です。問題解決と解決策の立案においては「拡散と収束のプロセス」を踏むことが重要と言います。拡散とは、網羅的に考えられるものを全て俎上にあげることです。しかし、人間は思い込みもあるので、思考に偏りが発生しがちです。そこで、強制的に網羅的な検討を行う手段としては、チェックリストが有効です。このチェックリストを使う上で大切な思考法が、マッキンゼーが考案した「MECE」(=モレなくダブりなく)です。このMECEを最大限実践するには、「軸」を意識することが重要と言います。

例えば、「公園の中で育つハトが減った」という事象を「ヒナの数が減った」と「成鳥になるハトの数が減った」に分解する場合、これは時間の経過つまり「時間軸」を意識して分けていることになります。単に分解するのではなく、自分がどのような観点で事象を分割しているのか、潜在意識を顕在化することがポイントです。その他、マーケティングの4PやAIDMA、ビジネスシステムや戦略策定の3Cなど、有名なフレームワークもその活用方法が具体的に提示されています。

問題の本質をつかんだ後は、収束に向かいます。解決策を絞り込むわけですが、ここでも確固たる評価基準が必要です。考え方の根本は上述の「軸」と同様です。通常のビジネス書とは異なり、かなり実践的なアプローチで説明しているので、情報分析やコンサルティングを行う方には特に有用と思われます。

最後に「情報」の使い方や、どの情報を優先的に集めるべきかも事例を用いて説明されています。全てのデータを集めることは不可能で、どの情報を時間とお金をかけて集めるべきか、全体の中で肝となる部分の洗い出し方など、非常に丁寧な説明が成されています。

本書には問題解決に当たって「ダメな例」もいくつか掲載されていますが、自分に当てはまっている部分も多く、読みながら心が痛む部分も多々ありました。しかし、裏返せば自分がこれまでこだわっていた部分も実際は大勢に影響なく、自信を持って進めなさいと言われているようで、安心感のようなものも生まれてきました。

問題解決や論理思考に関する書籍は方法論に終始しているケースが多いようです。しかし、本書は実際にツールを用いる人間の立場で書かれているので、非常にすぐれた実践書と言えるでしょう。論理的思考力を少しでも高めたいと向上心に溢れる方にはお勧めしたい一冊です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

【映画】『君の名は。』新海誠

◆君の名は。
(監督:新海誠 / 制作会社:コミックス・ウェーブ・フィルム 公開:2016年8月26日)



2016年に大ヒットしたファンタジー・アニメーション映画です。1年遅れですが、DVDレンタルの開始を受けて視聴してみました。全体的な感想としては、テンポの良いストーリー展開に加え、鮮明なアニメとRADWINPSの軽妙なミュージックがストーリーを引き立てており、良い作品と感じました。ただ、ストーリーについては原作者の「いいたいこと」が分かりにくく、単に高校生のラブストーリーと受け取ればよいのか、ネット時代を反映した「顔の見えない恋愛」を描いているのか、少しモヤモヤが残ったという感じです。

片田舎の湖のそばで暮らす宮水三葉(みやみず・みつは)は、祖母と妹の四葉(よつは)と暮らす高校生。ある日の朝目覚めると、まったく別の男子高校生になっている自分に気づきます。それは夢ではなく現実であることを徐々に悟ります。一方、東京に住む男子高校生の立花瀧(たちばな・たき)も、目覚めると田舎の女子高校生になっている自分に気づき、戸惑いながらもそちらの生活に何とか対応していきます。

お互い顔は見えないものの、三葉と瀧は入れ替わっている相手の存在を意識しており、スマホに日々の記録を残して相手に引き継ぐルールを決めます。ここで面白いのは、瀧のバイト先にいる美人大学生・奥寺先輩に対して、三葉が入れ替わっているときに積極的にアプローチしてしまい、瀧がデートすることになるシーンです。

やがて、瀧はあることに気づきます。地球に近づいている彗星が、三葉の暮らす糸守町に落下し、三葉を含む住人の大半が亡くなってしまうという予知夢です。何とか住人を避難させようと奔走する三葉。そして、三葉に会うために糸守町まで来てしまう瀧。三葉の運命、そして二人は出会えるのか…。最後まで飽きることなく楽しめる作品です。

昨今、インターネットを介した「顔の見えない」やり取りが増えています。ネット内のやり取りから、現実世界の仲に発展するケースも少なくないそうです。逆に、相手の顔が見えないことをいいことに、心無いメッセージや中傷に至るケースまであります。

そんな時代の中で、コミュニケーションの本質が問われています。相手が目の前にいなくても、相手のバックグラウンドが分からなくても、その本質は不変のはずです。それは「相手の気持ちと立場を考えて発言する」ことではないでしょうか。

本作品において、瀧と三葉はお互いの体験をすることにより、相手の気持ち、相手の強みや弱みを理解していきます。瀧は、赤の他人とも言える三葉の危機に対し、懸命に対応しようとします。そんな体験を通して、二人はまだ見ぬ相手に淡い恋心も抱くようになります。相手の気持ちと立場が分かるからこそ、相手を受け入れようという姿勢も出てくるのでしょう。

単純に楽しむこともできるし、作品の解釈を考えるのも面白く、単なるヒット作品ではなく一度見ておくことをお勧めしたい映画です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆

『新・独学術-外資系コンサルの世界で磨き抜いた合理的方法』侍留啓介

■新・独学術-外資系コンサルの世界で磨き抜いた合理的方法
(侍留啓介著 / ダイヤモンド社 発行:2017年6月15日 価格:1,620円)



著者はマッキンゼーでの業務経験があり、現在は外資系投資業務に従事されています。その著者が、コンサルタント業務等でパフォーマンス発揮する上で「賢さ」が必要と断言しています。ここで言う「賢さ」とは、「知識量」と「論理力」を意味しています。

ビジネスパーソンとしてパフォーマンスを上げるために知識量を増やし、論理力を磨くにはどうすればいいのか。その独学の技法を全5章に分けて説明しています。

結論から言うと、「知識量」も「論理力」も大学受験参考書で十分に身につくようです

一例として、経済学を勉強する際、いきなり専門書に取り組むと挫折する可能性が高いです。しかし、大学受験用の参考書、例えば『政治・経済 標準問題精講』(旺文社)では、経済分野のわずか40題をこなすだけで、経済史もマクロ経済学もミクロ経済学も全体像を俯瞰できるといいます。また、大学受験用参考書の最も重要な価値として、「参考書には問題と答えがある」ことだといいます。

これは大きく賛同できます。一般的なビジネス書を読んでも、読後に知識が血肉化しているか、自分の言葉で他人に説明できるか疑わしいものです。問題を解いて答えを確認することで具体的な知識を定着させることができる可能でしょう。

具体的に習得すべき知識として、政治・経済や倫理、心理学や英語など。証券アナリスト試験や税理士試験など、資格を取らなくともテキストを読むだけで知識の構築に役立つようです。

さらに、論理力は現代文と小論文の大学受験用参考書で十分体得できるといいます。現代文も小論文も、読書好きな人が得意
で、ある程度感覚的に解くものと理解されがちです。しかし、実際には、読書経験の大小に関わらず、現代文も小論文も論理力で回答する教科といいます。また、現代文や小論文で扱われる題材自体、様々な観点で社会問題を論じたものが多く、読み物としても知識を増強できるといいます。

これも共感できます。自分の周りで現代文が得意だった友人を思い出すと、地頭が良く、話の筋も通っている人が多かった印象があります。読書体験も国語力を高める要素だと思いますが、問題を解く対象としてまとまった文章を精読するには論理力が要求されるはずです。

本書の主張は『読書の技法』(佐藤優著)とほぼ同じです。佐藤氏は速読を行うにはその分野の基礎知識が不可欠であり、その知識は大学受験レベルで十分だと言っています。確かにベースの基礎知識が強固であれば、そこに関連づけて理解できるし、情報処理の速度も格段に上がると思われます。

情報量が増える一方、短時間でエッセンスをつかむ能力は今後益々要求されそうです。そのような社会を効率的に生き抜く上で、本書は様々なヒントを与えてくれると思います。ビジネスパーソンだけでなく、学生の方にもおすすめしたい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『仮面の告白』三島由紀夫

■仮面の告白
(三島由紀夫著 / 新潮文庫 発行:1949年7月 価格:562円)



三島由紀夫の有名な自伝的小説です。自身を研究対象として、何故そのような思想や性格に至ったのか、家庭環境や時代背景などと関連づけ、読者が奇妙と感じるくらい論理的に綴られた作品です。

関東大震災の翌々年(1925年)に生まれた「私」は、祖母の寵愛を受けながら幼少期を過ごします。病気がちだった「私」は女性に囲まれながら育つ環境にあり、それはその後の人格形成に何らかの影響を与えたと暗に示唆しています。

また、汚穢屋(おわいや:糞尿汲取人)や戦場に向かう兵士など、「悲劇的なもの」にばかり興奮する「私」は、女性でなく男性に関心がある自分に気づき始めます。

やがて中学校へ進学した「私」は、粗暴で男性器が大きいという同級生に「恋」をします。しかしそれは「恋」ではなく、逞しい肉体への嫉妬、自身の虚弱体質に対する劣等感と気づきます。これが筆者の言う「自我のスパルタ式訓練法」につながっていったと言います(実際、著者である三島はボディビルなど過酷な肉体鍛錬に励んだそうです)。

本土空襲など終戦が見え始めた時代。「私」は友人の妹である園子(そのこ)と男女の関係を築けないものかと、様々な企てを図ります。しかし、心は偽りが通用しても、肉体は一向に反応しない自分に苦悩します。園子からの求婚も破談となり、終戦を迎えます。

自分は異常体質ではないか。そうであれば、何とか克服したい。克服できなければ、せめて異常体質ではないという「ストーリー」を作りあげ、苦悩から離れたい。そんな考えがめぐる「私」は、他の男と再婚した園子と偶然にも再会します。

未練がましく園子と会い続ける「私」は、園子に自分への愛情をよみがえらせ、迷いを植え付けてやりたいと考えます。同時に、本当は園子を愛していたという自分がいるはず・決して異常体質ではないという「ストーリー」を作ろうと食い下がります。しかし依然として肉体が反応しない自分に対し、異常体質が確定したと自己判定を下し、虚無感に襲われたところで物語は終了します。


現代は様々な個性が認められ、情報も豊富です。いわゆる同性愛者も完全とは言えないまでも、一定の理解が得られています。そのような多様性をデメリットではなく、むしろ強みと考え、社会に役立てていこうという「ダイバーシティ」のような考え方も広まり始めています。

そのような社会通念や情報もない時代、他の人と「違う」部分については、悩みを持つ人が多かったことでしょう。三島のように、少し特殊な家庭環境、戦争に参加できない虚弱体質、そして同性愛など、他人との差異が「異常」と感じてしまうのも無理はなかったかもしれません。

しかし現代がどのような個性も体質も認められているかというと、そうではありません。特に日本は集団を重んじる伝統があり、組織内に現れた異質なものは外部へ弾き出そうとする傾向が強いです。それがいわゆるいじめや画一的教育等に表面化しているとも言えます。

自分の性格や人格について、明らかに反社会的なものは除きますが、他人との違い(いわゆる平均値からの乖離)に悩んでいる人は、本書をめくってみることをお勧めします。必要以上に悩むことはないし、かと言って無理に理屈をつけ納得することも無粋であり、その違いを認めて上手く付き合っていくことが肝要と思えるのではないでしょうか。

教養人でもあった三島らしく、様々な歴史事例や分かりにくい表現もありますが、物語そのものは分かりやすい作品です。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★★

『生産性 マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの』伊賀泰代

■生産性 マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの
(伊賀泰代著 / ダイヤモンド社 発行:2016年11月26日 価格:1,728円)



「働き方改革」という言葉が広まっています。2016年9月26日、内閣総理大臣決裁により設置された私的諮問機関「働き方改革実現会議」により様々な提案が成されているようです。常軌を逸した業務量やパワハラによる痛ましい事件もありました。そのような背景もあり、民間でも大手企業を中心に「働き方改革」の検討が進められていますが、実態は残業時間の縮小など、仕事の量的部分にばかり注目が集まっているように見えます。

しかし、業務ボリュームを先に縮小しなければ、結果としての業務時間も削減できないはずです。業務量や社内体質の改善もないままに、業務時間だけを短縮しても逆効果であることは明白です。業務量削減の手段としては、不要な業務そのものを切り捨てるか、効率化の二択が思い浮かびます。

ところが本書は、その二択とは別の観点で、まず「生産性の向上」を念頭において業務を俯瞰し、業務の見直しを行うべきと主張しています。

第1章~3章では、「生産性」の定義や概念、アプローチ、注意点を解説しています。第4章~5章は、生産性という切り口から「人材」に対する適材適所の重要性、育成の在り方を述べています。著者はマッキンゼーで人事マネージャーとして12年間勤めていたこともあり、人材育成については興味を引く内容が多いと感じました。例えば第7章の研修に関して、ロールプレイングを用いた生産性の向上を強く進めており、従来型の講義形式がいかに効果の小さいものか実感できました。以降、8章ではマッキンゼー流の資料作成、9章では会議の運営と続き、いずれも「生産性の向上」という視点から意味のある仕事の回し方を提議しています。

本書で気になったのは、「生産性の向上」はまっとうなものの、中途半端に適用すると、社員に大きな負担がかかってしまうという懸念です。投入資源を制限し、少数精鋭で最大の効果を出すべきという主張は理解できますが、周囲の理解も無いまま生産性を追究すると、結果的に社員へ過重労働を強いることになりかねません。

例えば資料作成において、最初にフレームワークや構成だけを合わせておくのは大変効率的です。ただし、日本の場合は社内に意思決定者が多数存在することも多いため、全員の理解が無ければ、逆に手戻りが発生する恐れがあります(ある程度作り込んでエスカレした方が速く回るケースもある)。

よって、本書で紹介されている様々なノウハウを、特に日本企業で活用するには、トップダウン的な指示が求められると思います。
過去10年~20年で、インターネットや携帯電話が主流となるなど、技術的なシフトが多く発生しました。また、中国をはじめとしたアジアの生産力が増大するなど、外部環境の変化も著しい。その一方、国内では少子高齢化や晩婚化、ワークライフバランスの推進など、これまでのスキームが通用しない流れが加速しています。

経営者、および上層部がそういった変化を感じ取り、当事者意識をもってどれだけ実行に踏み切れるのか。その意識があった上で、本書のような本質を突いた具体的ノウハウは大いに活用されるべきと感じました。「働き方改革」が本当の意味でのパラダイムシフトとなり、日本企業の躍進に役立ってほしいと切に願います。

 ゆーたんお勧め度 ★★★★☆
プロフィール

ゆーたん

Author:ゆーたん
京都府在住。大学院では磁性物理学を専攻し、現在は一般企業の技術職に従事しています。ピアノ演奏が何よりの趣味でしたが、最近は忙しくなかなか時間が作れません。空き時間に色々な本を読んで、様々な場所へでかけ、個性的な人たちと出会い意見を交わすのが今後の楽しみです。

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